2016.081
用賀って?
東急ステイ用賀でございます。
と言われても、用賀ってどこにあるの?
どんなところ?
それに用賀って名前、なんか変!
①用賀って?どこ
そうですよね、用賀なんて町は、ほとんど知らない方ばかりだと思います。それでも、少しでも多くの方に宿泊にいらしていただきたいので、まずは、用賀のロケーションと町の雰囲気をお話したいと思います。
鉄道の駅としては、東急電鉄の田園都市線で渋谷から5つ目の駅です。時間にして、10分ちょっとです。 田園都市線は、そのまま、隣の二子玉川の駅を通って、多摩川を渡り、神奈川県へと走って行きます。
首都高速なら、3号線の終点、用賀で降りると、ほんの目の前です。高速はそのまま東名高速に接続しています。
世田谷区だということもあり、周りは、閑静な住宅地が広がっています。
そんな場所ですので、観光に来て下さいとは、言いづらいのですが、それなりに歴史もあれば、見所もあるので、ビジネスで来館された方のためにも、町を楽しむためのお話を少し。
②大山街道の町
ホテルは、用賀駅のほとんど真上に在り、その前を走っている道は、大山街道と言います。
大山街道とは、江戸時代に有名になった大山参りに使われた道です。江戸時代の庶民が大山にある 阿夫利神社に、雨乞いとか参詣といいつつ、物見遊山に出かけたのですね。参道は長い曲がりくねった石段で、宿坊、お土産屋、などがひしめいています。特に、豆腐料理は有名です。
現代になって一時、大山なんてつまらないという、見捨てられた感じの観光地だったのですが、最近は、パワースポットとか、古き良き日本の見直しとかで、再び脚光をあびています。その大山の良さを再発見したのは、外国のお客様達だと聞いています。
今年、大山ケーブルカーもリニューアルされて、ヘリコプターで運ばれる新しい車両が、空飛ぶケーブルカーとして新聞に写真が載っていました。
私、実は大山街道沿いで育ったために、小学生の時に遠足に行ってます。一泊して、朝早く暗いうちにおき出して、宿でつくってくれたおむすびを持って、大山を登るという、子供にはなかなか過酷な道のりでした。
さて、用賀に話を戻します。用賀は、江戸時代は、その大山参りのための宿場で、なかなか栄えていたようです。用賀からは、街道は二手にわかれ、三軒茶屋で再び合流します。その分岐点は追い分と呼ばれる地点です。
追分・・なかなかそそられる響きですね。
その追分のあたりに宿とかお店があったらしいのですが、時代と共に中心は少しづつ西に移動し、現在はこのホテルのあるあたりが駅の真上ということもあり、用賀の中心地となりました。
今でも宿場の名残というか雰囲気は、商店街の細めで緩やかにカーブした道沿いから、感じ取れます。夕食のお店を探しながら散歩するには、ちょっと素敵な町並みです。
下町っぽい雑多な商店街に、世田谷の高級住宅街らしく、ネット上でも紹介されるようなちょっと素敵なレストランが、点在しています。
③東急ステイ用賀に宿泊
いかがですが?用賀って、それほど捨てたものでもない、って、少しですが気持ちに変化がありませんか。
ホテルは駅の真上にあるんですよ。東京の山の手線内にでかけるにも、一分で電車に乗れるんですから便利ですよね。
昼間は、東京の雑踏を楽しんで、夜は静かな住宅街のホテルで過ごす。しかも、町を散歩するのも、歴史あり、木々の豊かな公園あり、そそられるレストランあり、と、ゆったりとした時間がすごせると思います。
こんな宿泊のスタイルも、一度ためしてみませんか。
さて、この次は、田園都市線の全身だった、玉電のことなどを話したいと思っています。
また、皆様に、用賀に行ってみたいと思っていただけるような楽しい話を、たくさんご用意していこうと思っています。これから、よろしくお願い申し上げます。