2015.128
東京駅八重洲EDO-TOKYO- YAESU HISTORY
年末年始の準備で忙しくなって参りしたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
今回は東京駅八重洲地下街の外堀地下1番通りを散策致しました。
■八重洲地下街の南口通りと外堀地下1番通りの交差のする場所に旭川ラーメンで有名なお店があり、その店の横に【ヤンヨーステン記念像】があります。この外堀地下1番通りを直進しますと仲通り、メインアベニュー、北口通りとそれぞれ交差しています。りそな銀行ATMの隣に
【EDO-TOKYO・YAESU HISTORY】というコーナーがあります。
ヤンヨーステン記念像オランダ人Jプラート作
『ヤンヨーステンは和蘭人で西暦1600年豊後の海で難破した和蘭船に乗っていた。そのまま日本に住みつき徳川家康の信任を得、外交や貿易について進言をする役目についた。その江戸屋敷は和田倉門外の堀場にあったので、後に彼の名にちなんで八代洲河岸と称され、更に八重洲になった。ここに彼を偲んで記念像を置く。』
左上の写真はヤン・ヨーステン、右上は徳川家康の絵
左下側はリーフデ号の水先案内人の英国人ウィリアム・アダムス(日本名・三浦按針)の像、右下はリーフデ号です。
下の絵は繁昌する江戸のメインストリートです。
Prosperity of "Edo" shown in the main street near Nihombashi bridge
■『今に続く江戸のメインストリート、通町筋(現、中央通り)。道幅約18メートルに及ぶこの土の道に行き交う人々と軒を連ねる大店。画家のまなざしは、木彫りの龍を戴く建看板、あるいは屋根上に梯子が聳え立つ自身番屋に注がれており、これらが不自然なほどに大きく描かれている。通り右端の書店には、天井から釣り下がった絵を興味深そうに指さす子どもが描きこまれており、その姿が微笑ましい。「日本橋付近」というタイトルをもつこの絵は、幕末の江戸の様子を克明に伝える貴重な記録である。』(絵の説明文より)
■リーフレ号が豊後に漂着したのが1600年(慶長5年)3月16日(西暦4月29日)。その半年後に、関ケ原の戦1600年慶長5年9月15日(西暦10月21日)が始まっています。
■当時の記録によりますと関ケ原の戦いの時にリーフデ号に積載されていた兵器(大砲や火縄銃等)や砲員を徳川家康は有効活用したようです。
■オランダ人の航海士、朱印船貿易家ヤン・ヨーステン・ファン・ローデンスタインとリーフデ号の航海長ウイリアム・アダムス(三浦按針)の二人は家康から厚遇され旗本になっています。他にリーフデ号の船長のヤコブ・クワッケルナック、メルキオール・ファン・サントフォールトの二人の名は残っていますが、残りの乗組員の行方は全く知られていないようです。
■母国に帰国することなく日本に永住し朱印船貿易に従事する船乗りとしての生涯を全うしたのでしょうか。オランダを出港した時の最初の乗組員の数は110人でしたが、日本に漂着した頃には24名になり、その後、病気等で数名になったようです。
■夢と希望を抱いての冒険航海だったのでしょうか?彼らのその後の人生に思いを馳せると尊敬の念と何故か切なさも禁じえません。
■八重洲地下街外堀地下一番通りへのアクセス:
JR神田駅から東京駅までJRで2分、東京駅改札を出て徒歩5分程の場所にあります。
東急ステイ日本橋より徒歩で17分でございます。
空気の乾燥した季節になりました。お風邪などお召しになりませんよう、ご留意くださいませ。
それでは良い一日をお過ごしくださいませ。
東急ステイ日本橋のご来館をお待ち申し上げております。
m(_ _)m
担当:S.S