2020.033
ふるさとは遠きにありて思ふもの
タイトルの、この一節、
きっと誰もが一度は目にしたり、
或いは口ずさんでみたことがあるのではないでしょうか。
この一節を含む、「抒情小曲集」等、多くの著名な詩集や小説を生み出した室生犀星は、
ここ金沢で生まれ、金沢の街を流れる犀川をこよなく愛した文学者です。
この一節だけを一読すると、故郷を遠く離れた地で
その故郷を愛おしく懐かしむような内容に思われますが、
実は東京へ向かう前に、郷里である金沢で詠まれた詩なのです。
なぜなのでしょうか。
この詩は次のように続きます。
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたうもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
これは何があっても故郷には二度と戻らないという
決別宣言です。
金沢から東京へ向かう前に、金沢で詠まれたこの詩、
どんな思いが込められているのでしょう。
室生犀星は、1889年加賀藩の下級武士と女中の間に
私生児として生まれました。
生誕地には、現在室生犀星記念館が建てられています。
生後まもなく、近くにある雨林院というお寺に引き取られ、
その後養子となりました。
実の両親とは会うこともなく、周りから私生児と揶揄され、孤独感を抱え育った犀星は、
小学校を中退し、金沢地方裁判所に給仕として働きますが、
そこで俳人の手ほどきを受け、文学者を志し東京へ出ていくのです。
その後東京と金沢を行き来する中で、
ある日金沢を離れる時に、この詩が生まれました。
雨林院のすぐ脇にある、犀川大橋(国の有形文化財です)
この橋を過ぎて、犀川沿いの「犀星のみち」と名付けられた道を進むと、
しばらく経って室生犀星文学碑があります。
更に進むと桜橋から望む犀川の景観にたどり着きます。
犀星は1962年、東京・虎ノ門の病院にて
生涯を終えました。
きっと時の走馬燈に映った景色は、
こんな景色だったのではないかと思います。
人はふるさとを思う時、楽しかったことばかりではなく、
辛かったことや悲しかったことも、一緒になって胸にこみ上げてきます。
それでも、ふるさとを切り捨てることが出来ないのはなぜでしょうか。
あなたのふるさとは何処ですか。
by スタッフ K.