2018.0422
築地ホテル館
皆様こんにちは!
今回は築地に昔、日本最初の本格的ホテルがあったことについて書こうと思います!
☆築地ホテル館(以下wikipediaより引用)
1868年1月1日に江戸は外国人に向け開市されることになっていたが、そうなると江戸に滞在する外国人が増えることが予想された。このため、イギリス公使ハリー・パークスは、幕府にホテルの建設を要請し、それに応えて築地船板町の軍艦操練所の跡地(現在の中央卸売市場の立体駐車場あたり)に築地ホテル館が建設されることになった。
完成したホテルの規模は、2階建ての本館(一部3階、塔屋付)と平屋からなり、延1619.7坪(約5354.4m2)、間口40.5間(約73.6m)、奥行34.0間(約61.8m)、102室。水洗トイレつき、ビリヤード室、シャワー室、バーも備えられていた。連日見物人が押し寄せ、錦絵が100種以上も作られ、江戸・東京の名所となった。
上記に記載のとおり、なんと現在、中央卸売市場の立体駐車場がある場所にホテルがあったそうです!
昔のことなので当たり前ですが、あの場所にホテルがあったとは全く想像できず驚きました・・・!
またビリヤード室やバーなどもあったということで、いかに外国人の方向けに造られていたのかがわかります!
アーチ式屋根やバルコニーがある洋風建築だったそうですが、海に面した中庭は日本庭園を築く和洋折衷様式だったりと
日本と外国の文化両方が取り入れられた建物だったようです!
今のように大きい建物などがない時代なので、きっと景色もとても良かったんだろうな~と想像できます(^^)
ぜひ見てみたかったものです!!
しかし!!残念なことに営業は長続きはしなかったようで・・・(以下Wikipediaより引用)
築地居留地はあまり発展せず、次第にホテル館の経営も厳しくなり、明治3年に喜助は経営から退き、明治5年1月14日(1872年2月22日)、ホテルの建物は海軍の手に渡った[4]。それから間もない明治5年2月26日(1872年4月3日)に発生した銀座大火で類焼し、灰燼に帰した。わずか4年足らずの寿命だった。
なんと。。。4年も営業できなかったようですね(*-*)
やはりお客様あってのホテル経営なので、利用する方が減ってしまうと難しいものですね。。
しかし、できた当初は名所として多くの人々が訪れたようです!
昔もたくさんの人々で賑わう場所だったことを知りとても勉強になりました!!
今現在も、毎日毎日たくさんの人が築地市場に来ているのを目にしております!(^^)
もし早起きがお得意でしたらぜひ早朝にお出かけ下さい!!人も少なく空いております!(笑)
まだ行ったことがない方はぜひ築地でお買い物&お食事を楽しんでみてください♪
スタッフAでした*