2014.0518
有楽町・銀座の新聞社
1700年の江戸時代、ここには、大岡越前も勤めていた南町奉行所がありました。今は、有楽町と呼ばれています。
有楽町は、明治に入り、日劇、宝塚劇場、邦楽座(現、丸の内ピカデリー)等の劇場が置かれ「劇場街」と呼ばれていました。一方、昭和初期まで有楽町、銀座地区には新聞社も多くあり、東京日日新聞(現、毎日新聞)、読売新聞、報知新聞、東京朝日新聞の本社も置かれ「新聞街」「インクの町」とも呼ばれていました。
有楽町マリオン(旧、朝日新聞社跡)
ここには、1980年まで朝日新聞東京本社の建物があり、日劇と並びランドマークになっていました。
それ以前は、東京朝日新聞社として銀座6丁目(当時は京橋区瀧山町)にありました。当時の建物の前に有名な歌人の記念碑があります。
石川啄木の記念碑
石川啄木です。彼は、同新聞社に亡くなるまでの3年間、校正係として勤めていました。在籍年数こそ短いものの、当時の編集長や同僚からの厚意や恩情に守られていたそうです。この碑は、彼の没後60年を記念して銀座の有志により建立されたものです。
碑には『京橋の瀧山町の新聞社、灯ともる頃のいそがしさかな』と歌集「一握の砂」から1歌を抜粋し刻まれています。
現、朝日新聞東京本社(築地)
1980年、朝日新聞東京本社は築地に移転しました。当ホテルより徒歩5分です。
プランタン銀座(旧、読売新聞社跡) 読売新聞と銀座の関係を讃えた碑
読売新聞社は、1877年(明治10年)に銀座1丁目に進出し、新聞街の中心的存在となります。しかし、震災や空襲など他の新聞社より多くの被害を受けました。当時の記者たちは、この有楽町、銀座を新聞刊行の魂の込めた地と解し尽力したといわれています。
1967年、大手町に移りますが、この社屋も2010年に新しく建て替えられることとなり、再び銀座6丁目に仮社屋として3年間、戻ってきます。奇しくも朝日新聞東京本社のすぐそばとなりました。
現、読売新聞社東京本社(大手町)
2014年1月、大手町の新社屋に移転しました。
新有楽町ビル(旧、毎日新聞、東京日日会館跡)
毎日新聞は、以前、東京日日新聞と呼ばれ、丸の内寄りに本社があり、東京日日会館は屋上にプラネタリウム(東日天文館)があり、ビルの壁面には、いまでいう電光掲示板なる電光ニュースを見ることができたそうです。
1966年、本社を竹橋に移しました。
現、毎日新聞社本社(竹橋)
現在は、大手町近隣に新聞社が多く集まり、有楽町、銀座はインクの臭いしない街となりました。ファッションやトレンドに敏感なセンスのよい人たちが集まる大人の街ですが、地方の新聞社、テレビ、ラジオ局等の支社等はたくさんあります。