2014.054
漁民がつくった佃島
江戸時代のはじめ、摂津国西成郡(現、大阪市)佃村からやって来た漁民は、隅田川の洲に自力で土地を築き、幕府の特権を得て漁業を始めました。佃島の始まりです。
江戸時代の絵図
神輿置場に掲示されている図より(佃自治会館内)
漁業の繁栄と佃島の鎮守を願い、大阪より分祀した住吉神社も創建されました。
住吉神社
正面鳥居の上にある扁額は、珍しい陶製で白地に呉須で額字や雲文を染め付けています。1882年(明治15年)に創作され、題字は有栖川幟仁(たかひと)親王によるものです。
鳥居の扁額
我が国最古の法典である「大宝律令」の中に、海産物調賦として、堅魚、煮堅魚の記述があり、古来より鰹は食されており保存食でもありました。東京都鰹節卸商業協同組合は、その感謝の意をくみ、1953年(昭和28年)に境内に「鰹塚」を建立しました。
鰹塚
当時の住吉神社の祭りの様子を描いた作品です。
初代広重の画
かつて隅田川を航行する船舶や漁民のために、灯台がありました。平成元年、佃公園の整備の際、モニュメントとしてつくられています。
石川島灯台(石垣の中は公衆トイレになっています。)
1964年(昭和39年)に佃大橋が完成し、佃島渡船は、300年の歴史を閉じました。
佃島渡船の石碑
佃3丁目に、海水館の碑があります。江戸湾(東京湾)を望む、2階建て18間の旅館で、ここからは、遥かかなたに、上総、安房(現、千葉県)の山々が見えたそうです。
多くの文学者が、この旅館に止宿し、作品を執筆しています。
島崎藤村 『春』
小山内薫 『大川端』
三木露風 『白き手の猟人』
吉井 勇 『毒うつぎ』
等が代表作です。
現在の海水館跡から見える光景です。のどかな松林や海は臨めません。隅田川(派川)の対岸にはたくさんの高層ビルが建っています。
佃島は、古き良き昭和の下町が残っています。方や、高層マンションと時代の変遷を感じさせますが、路地裏に懐かしい光景がありました。
路地裏 井戸(手押しポンプ)
佃堀に架かる佃小橋 地元の鎮守、波除神社
佃煮は、小魚をしょうゆ等で煮た保存食ですが、名前の由来はこの地名から来ています。
地下鉄大江戸線月島下車です。