2013.0814
八丁堀で思い出したこと
今日は日比谷線築地駅から1駅の八丁堀に来ています。
最近、地上波テレビで時代劇を見ることがほとんどなくなりました。水戸黄門や遠山の金さん、鬼平など楽しんでいた人も多かったと思います。
八丁堀と聞いて何が思いうかびますか? どっぷり昭和生まれの私は「八丁堀の・・・」と聞いて中村主水を思い出しました。必殺シリーズで池波正太郎の時代劇小説を原案にしたテレビドラマですが、彼はシリーズの主人公で当然、架空の人物です。
彼の職業が「八丁堀のだんな」、いわゆる江戸町奉行の同心でした。
八丁堀は江戸町奉行の与力、同心の町として有名だったのです。
八丁堀の名前は寛永年間(1624~1643)に造られた長さ八町(八丁)の堀(約872m)があったところに由来しているそうです。明治になって桜川となり、現在は埋め立てられて鍛冶橋通りの一部になっています。
彼らの住まいである組屋敷が置かれ、南北700m、東西300m、総面積32,800坪(約108,000㎡)の広さで例えるなら東京ドーム約2.3個分でした。
今はビルばかりで、当時をしのばせるものは組屋敷跡地の立看板だけですが、時代劇で与力、同心の登場するシーンを思い出すと楽しい想像ができます。ちなみに堀の反対側は、あの有名な大豪商の紀伊国屋文左衛門の大屋敷だったそうです。
今、テレビの時代劇はなくなりましたが、刑事ドラマが大人気でたくさん放映されています。時代は変わっても捕物ドラマは人気なんですね。ただ、場所は桜田門ですが・・・。