2014/06/15【観光案内】
隅田川テラスの旅~一之橋から「鬼平」を訪ねて
しばらく前までは初夏の爽やかな気候だと思っておりましたら、いきなり暑くなりその後いきなり梅雨に突入してしまいましたね~(><) じめじめとしたいやな時期がやってまいりましたが、皆様お身体に気を付け元気にお過ごしくださいませ★★\(^^)/
さて、今回は久しぶりに「隅田川テラスの旅」シリーズをお届けしたいと思いますが、前回は隅田川テラスを両国橋の手前で少し抜け出し、竪川から上流の方へ向かい「一之橋」近辺を散策しておりました。
今回はその「一之橋」からさらに竪川の上流の方へ向かいました★★★
そういえば、この竪川の両岸には江戸時代に竹問屋が多く、いたるところに竹置場があり「竹河岸」と呼ばれていたそうです。良くそういった情景を錦絵などで観ることができます。
「一之橋」から竪川沿いに上流に向かって歩いて行くと、「塩原橋」「千歳橋」が竪川にかけられていて、その後の「二之橋」がかけられている通りにやってまいりました。
この通りこそ「清澄通り」でして、ここから「二之橋」を通って南下していくと、当ホテルがある門前仲町に到着いたします(^o^ )
二之橋の手前にさしかかると角地に何やら立て看板を発見(写真左上)★★
立て看板のタイトルは、「鬼平情景」~軍鶏なべ屋「五鉄」とあります。
ここは、池波正太郎著の時代小説「鬼平犯科帳」に出てくる小説上の軍鶏鍋屋「五鉄」があった場所です。
「二ツ目橋の角地で南側は竪川」ということなので、まさにこの辺が小説上の場所にあたるようです。TV時代劇の「鬼平犯科帳」シリーズでは、おなじみの「鬼平」こと火付盗賊改方長官の長谷川平蔵が密偵たちとの繋ぎに使っていたお店で、情報交換をしながら軍鶏鍋を一緒につついていました~。
ところで、この「五鉄」って、池波正太郎著の「剣客商売」シリーズでも登場しています。しかし、長谷川平蔵と秋山小兵衛が会うことはなかったのですが・・・・
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そして「二之橋」の方へ行くと、橋の手前には今度は大きな立て看板がど~んと目に飛び込んできました(^@^)
この近辺には元禄15年(1702年)12月14日に赤穂浪士が討ち入りを果たした「吉良邸」があります。いわば「忠臣蔵」で有名な赤穂事件です。
そういった内容のことがこの中に詳しく書かれていましたので、思わず見入ってしまいました。
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そしてやっと「二之橋」の欄干へ到達いたしました~(^O^)
「二之橋」は緑一丁目と千歳三丁目を結ぶ橋で、長さ18メートル、幅5.4メートルで一之橋よりもコンパクトな橋です。
そしてこちらにも「江戸の町」~二之橋という立て看板を発見いたしました。(写真右上)
看板には当時の二之橋の様子が描かれていて、船舶の運航を妨げない為でしょうか?以前このブログでも紹介した「高橋(たかばし)」や「萬年橋」のように橋脚が高い橋だったようです。
また、「鬼平犯科帳」にも「二ツ目橋」として登場していまして、小説上長谷川平蔵が軍鶏鍋屋「五鉄」や、弥勒寺前にある茶屋笹屋の昔なじみの女将のお熊婆さんに会いに行くときに良く利用していた橋です。
それでは、笹屋のお熊婆さんの話題が出たところで「弥勒寺」にGO~
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二之橋を渡りきり、清澄通りをさらに南下して5つ目の路地を左に折れると荘厳な弥勒寺が目に飛び込んできました~★★★
真言宗豊山派の寺院でして、慶長15年(1610年)小石川に創建され、元禄2年(1689年)現在の位置に移りました。そしてこちらには前回このブログでも紹介いたしました、江戸時代、針灸術の総検校になった杉山和一のお墓もあります。
そしてこの寺の前がお熊婆さんの茶屋「笹屋」があった小説上の場所になります。
TV時代劇の「鬼平犯科帳」シリーズでは「笹屋のお熊」や「寒月六間堀」などでこの弥勒寺が頻繁にでてきておりました。TV時代劇シリーズって最近地上波ではあまりやらなくなったような感じですが、ケーブルで「水戸黄門」、「大岡越前」「江戸を斬る」といった時代劇の王道を行くものやそうでないものも再放送で観ておりまして、「鬼平犯科帳」「剣客商売」は再放送の頻度がかなり高いため、暇さえあれば毎日のように同じものを繰り返し観ております。何と言っても最後に絶対に悪が滅びるところがいいですよね~(^^)
あまりにも真剣に時代劇を観すぎて、頭の中が常に時代劇モードになっていて、日常生活でも「この紋所が目にはいらぬか!」とか「この桜吹雪、散らせるものなら散らしてみあがれ・・・」とか「ひと~つ 人の世・・・ふた~つ 不埒な悪行三昧・・・・」とか時代劇の決めゼリフがいつも頭を駆け巡っているのが怖いのですが・・・・・・・・(^^;)
弥勒寺から少し南下すると、五間堀、六間堀という小名木川とを結んでいた水路があったそうです~★
一間が約1.8メートルなので五間で9メートル、六間で11メートルの運河でした。
この運河は2つあわせるとYのような形をしていたそうで、昭和11年(1936年)と昭和30年(1955年)に2回にわたってどちらも完全に埋め立てられ、現在は公園になっていました。
五間堀公園:
東京都江東区森下2-30-7
都営大江戸線森下駅のA5出口からすぐです。
ここからさらに清澄通りを南下すると、森下→清澄白河→門前仲町になります。
清澄通りの清澄白河には、昨年このブログで紹介させていただいた江戸時代富士が見える名所だった小名木川にかけられている「高橋(たかばし)」がありますので、こちらもチェックしてみてくださいネ(^O^)
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このまま清澄通りを南下し続けると、このシリーズがこれで終わってしまいますので(^^;)清澄通りを北へ戻り隅田川テラスの方に入っていき上流をめざしました。
隅田川テラスの旅はまだまだ続きます。
本日のBLOGGER: umechan-manでございました(^o^)