トピックス

310年前の出来事

毎年、12月になると映画やテレビで『忠臣蔵』が上映され、討ち入りのシーンが見られました。12月14日は赤穂浪士討ち入りの日となっているからです。

ホテルから10分の明石町は、前回、書きましたように明治時代は華やかな異国情緒に溢れた町でしたが、それ以前の江戸時代、1650年代には赤穂藩浅野家の江戸上屋敷が置かれていました。『忠臣蔵』の主人公である浅野長矩(内匠頭)はここで1665年に生まれました。

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屋敷跡は現在、聖路加看護大学となっています

浅野内匠頭は幼くして、父、母を失い、9歳で家督を継ぎ、14~5歳で官職を与えられた正に青年(少年)でした。『忠臣蔵』の話は皆さんよく知っていると思いますので割愛いたしますが、小さい頃から責任のある立場にいたため、甘えのない、実直な人物であったようです。

江戸城大廊下(松の廊下)での吉良氏に対する刃傷沙汰は、それまでの氏への遺恨の蓄積であったとされています。

1701年3月14日、午前10頃に事件は起きました。場所が殿中であったため、周囲の人々にすぐに捕えられました。お預けとなる陸奥一関藩、田村家の家臣に午後2時に迎えられ、4時にはお屋敷に着きました。すぐに幕府より目付が参上し、評定を簡単に済ませ、午後6時には切腹を言い渡し,自刃させたのです。

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    自刃した田村家跡地の内匠頭の碑             辞世の句が記されています

一国の大名の事件で、殿中での刃傷とはいえ、わずか8時間余でのお裁き、あまりにも早急で、取り調べの猶予も無く、短絡的な顛末に、理不尽なものを感じざるを得ません。

 

田村家江戸屋敷(現在の港区新橋4丁目)の跡地で和菓子店を営業されている、御菓子司「新正堂」さんでユニークなスウィーツを見つけました。

その名もずばり『切腹最中』です。3月14日に因んで、『忠臣蔵』にまつわる数々のお話が後世まで、このお菓子を通して伝えられれば・・・と願うご店主の義士に対する熱い思いが感じられました。

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          新正堂さん                 赤穂義士の名入りの手ぬぐい

  

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            <1個190円の求肥の入った甘さをおさえたはみ出し餡が特長>

この『切腹最中』のネーミングはやや強烈で微妙ですが、何でもお客様にご迷惑をおかけした時、謝罪を込めたお詫びの品として手土産に持って行かれ名前から笑って許されることも多いとか・・・。

店内には、義士ようかん、どら焼きや大江戸まといなど美味しそうな和菓子がたくさんあります。ご店主の『忠臣蔵』に対する愛情を感じずにはいられません。

詳しくはホームページへ www.shishodo.co.jp/

最後に余談ですがお知らせです。こちら新橋4丁目にある新正堂さんの3ブロック左に、全く新しくなった「東急ステイ新橋」が2014年5月にオープン予定です。東銀座同様宜しくお願いします。

クリスマス/イルミネーション

今年も残り少なくなってきました。街の中には、クリスマスツリーや年の瀬を彩るイルミネーションが煌いています。東京はイルミネーションがいろいろな所で見ることが出来ます。そんな中でホテルに近い銀座、有楽町、東京駅、汐留の美しいイルミネーションを紹介します。寒くなる夕方5時半以降、暖かくしてお出かけ下さい。

まずは銀座地区です。

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  有名なミキモトのモミの木ツリーです。宝飾店だけあって宝石箱のように美しく演出されています

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                同じモミの木ツリーですがブルー一色のバージョンです

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                    マロニエゲートビルの入口のツリーです

銀座地区はこれからソニービルや4丁目交差点、数寄屋橋などで街頭イルミネーションが計画されています

次は有楽町、日比谷、東京駅地区です。

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             有楽町マルイです、時間帯によって雪が降る演出があるとか?

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           日比谷シャンテ入口のイルミネーション。ステンドカラーが美しいです

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                  日比谷の有名なホテルの庭に光っています

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       丸ビルのクリスマスツリーです。ディズニーキャラクターがモチーフになっています

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        明治安田生命ビルの頭上に輝く光のドームです。2万球のLEDを使用しています

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     丸の内仲通りのイルミネーション。街路樹約240本に104万球のエコLEDを使用しています

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                    東京駅丸の内口駅舎のライトアップです

最後は、汐留地区です。

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              汐留シティセンターの7メートルのアニバサリーツリーです

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 汐留カレッタは、3Dプロジェクトマッピングによるショーが演出されています。『魚たちはクリスマスの夢をみる』の5分のショーですが、ショーの終了後は観客から暖かい拍手が起こります

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            ショーと同じようにまるで海の中にいるようなイルミネーションです

おまけです。ホテルの近くでは無いのですが先日羽田空港に行ってきました。

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             第2ターミナル出発ロビーで搭乗客をお迎え、お見送りしています

東急ステイ東銀座でもかわいいクリスマスツリーが皆様を、お迎えしております。何かとお忙しい年末時期ですが、ご予約をお待ち致しております。

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www.tokyustay.co.jp

 

 

 

 

 

 

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異国であった町

ここ明石町は江戸末期、安政の時代、外国と結んだ開国条約(日米修好通商条約)により、江戸には貿易で来日する外国人の居住地が長崎や神戸のように無かったため、作られた区・外国人居留地でした。

住居の他、学校、教会、領事館、公使館、病院と次々に建てられ、日本の中の異国のような雰囲気であったといわれています。そのため様々な新しい文化が広まっていきました。

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ヘンリーフォールズは英国人の医師、宣教師で布教の傍ら、築地病院を開き、診察にあたりました。

明治8年、ハリスによって麻布とは別に公使館がつくられました。公使館跡にあった小松石の記念碑は今も聖路加病院の中にあります。アメリカを象徴する彫刻で、星、白頭鷲、星条旗(13州)が残されています

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今は、この居留地跡には聖路加病院、看護大学、タワーが建っています。聖路加病院はこの居留地が明治32年の条約改正で廃止され、明治35年米国聖公会のトイスラー氏によって設立されました。

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当時、設立された学校はキリスト教系の他、今は場所こそ移っていますが有名な学校として発展しています。立教学院、立教女学院、青山学院、明治学院、そして慶応義塾などがあります。

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    当時の立教女学院の校舎(銅版画)             立教学院発祥の地の碑

初めてが多い明石町ですが最後に2つのエピソードを紹介します。

ひとつは蘭学事始の地でした。蘭学者、杉田玄白の『蘭学事始』よれば、この地に大分中津藩の江戸下屋敷があり、藩医で蘭学者であった前野良沢がオランダ語の洋書『ターヘル・アナトミア』を初めて翻訳し『解体新書』5巻を完成させたと記されています。

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                          蘭学事始の地の記念碑

もうひとつは、日本の誇る文豪の一人、芥川龍之介の生誕の地であります。

芥川龍之介は当時、明石町の牛乳店の長男として生まれましたが、母親の病気により、幼くして母方の実家、芥川家に引き取られ、母の死後、叔父の養子となります。生まれた年が明治25年3月1日で辰年であったため龍之介と名づけられたそうです。その後は大学で夏目漱石を師事し名作小説を誕生させていきます。

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                     芥川龍之介 生誕の地の案内板                                     

明石町はホテルから約10分です。聖路加病院、聖路加タワーが目印です。

築地場外市場の歳末企画

今年もあと40数日となりました。多くのお客様で賑わう「年の瀬」がやってまいります。

日頃から、食のテーマパークである築地はこの時期、大変混雑し、各お店も盛況を迎えます。

築地場外市場では、歳末企画として『お年玉プレゼントセール』を実施いたします。今年で8回目を迎えます。じゃんじゃんお買い物をして、応募ハガキを頂いてお年玉をゲットしてください。

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『お年玉プレゼントセール』

11月18日(月) 各お店で応募ハガキを配布、お買い物の金額、数量などお店の人に尋ねてください

           *参加店の目印は、「黄色いバルーン」、店頭ポスターの掲示があります

           12月21日(土)迄配布いたします。  

           応募ハガキは、住所、氏名を明記し『場外市場に設置された専用の応募箱』 に投函。

1月9日(木)   抽選会

1月10日(金)  当選ハガキをお送りします

1月11日(土)  当選ハガキでお買い物始め~2月28日(金)迄お買い物ができます

           *参加店の目印は「黄色いバルーン」です

  賞金総額は300万円で2660本が当ります。

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注意事項(マナーとルール)も読んでね

○早朝のプロの買い出し時間は避けてください

○通路は狭いですから、ターレ(簡易運搬機)に気をつけてください

○歩行喫煙は禁止です。決められたところで喫煙してください

○お買い物品は忘れずに、置き引きやスリにも気をつけてね 

詳しくは築地食のまちづくり協議会まで、または場外通りのポスターをご覧下さい

八丁堀パートⅡ

先日、八丁堀を散歩して、江戸時代の地名の由来を紹介しましたが、八丁堀は日本橋などと並んで賑やかな下町でもありました。(本来は武家屋敷の土地でしたが、土地を所有していた武士が商人や一般町民に家屋を貸しており、栄えていたのです。)

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         (八丁堀交差点)                       (亀島橋)

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この日は台風一過できれいな虹が見えました

交差点から亀島川に行く橋のたもとに文化人の足跡を見つけました。まず1人が伊能忠敬です。

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(伊能 忠敬)

伊能忠敬は近代的日本地図作成の基礎を築いた人です。52歳から江戸に出て西洋天文学の勉強を始め、56歳から72歳にわたり、延べ3737日、約4万キロメートルに及ぶ徒歩の日本初全国測量を行いました。「日本沿海輿地全国・実測録」を編纂。1814年、隠宅をここ八丁堀亀島町に移し、4年後亡くなりました。

もう1人は東洲斎写楽です。

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(東洲斎 写楽の顔絵)

江戸時代の浮世絵師。役者絵、相撲絵を数多く制作し、リアルな表情と姿態を描いて、それまでの常識を覆しました。ただ、出生地や本名など不明な点も多く、謎のある人物でした。近年の文献によれば、阿波徳島藩の能役者だった「斎藤十郎兵衛」ではないかといわれています。その人物は八丁堀地蔵橋に住み、58歳で亡くなったと記されているそうです。

そして亀島橋の反対のたもとにも有名人の碑がありました。それは堀部安兵衛武庸の碑です。

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                         (堀部安兵衛武庸の碑)

忠臣蔵で有名な赤穂浪士です。越後の国(新潟県)、中山弥次右衛門の息子で江戸に出て剣術を学び、剣の達人として高田馬場での仇討ちの話は皆知る所です。後に浅野家家臣、堀部弥兵衛の婿養子となり堀部姓に変わります。新宿に住んでいたと言う話は有名ですが、八丁堀には「赤鞘安兵衛」と称して住んでいたとのこと。

武家屋敷だった八丁堀ですが文化人、有名人もたくさん住んでいたのですね。

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